miirachan’s blog

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「私生活」/少し休養をとりたい

少し、お休みをとることにしました

 

 半年以上、ずーっと仕事で気ぜわしい日々が続いていて。少しだけ仕事の休みをとることにしました。昨年度から転職して今の職場になり、畑違いの業界に30歳を過ぎて飛び込むことに。はじめてのことも多いし、業界の考え方が身についていないので何事にも判断に時間がかかってしまう。

 

 フィードバックも思うように得られない環境で、自分の判断に自信が持てず、先輩や同僚との会話も少ない状況で極度の不安感と自信喪失に陥り、ついに自分はいない方がいい……(と、さらにその先も)よくない思考に頭が支配されるまでになってしまいました。波はあれど、よくない思考に支配される状態が1カ月くらい続き、いよいよ仕事の処理能力に支障が出始めたため、「病院に行くこと」と「休養をとること」の必要性に気づかされました。ほんの2週間程度の休養ですが、病院へ行き、上司に相談し、自分で決めた休養です。いい状態になりたい、仕事は頑張りたいという気持ち、だけど今すぐにはタスク処理のために頭をフル稼働させられないという現状。自分で決めた選択で、うまくいこうといくまいと自分に結果が返ってくる。そういうものを積み重ねて自分に対する自信を取り戻していけたらいいな。

 

FOCUS:自信のなさの根本

 私の自信のなさは今に始まったことではなく、こどもの頃からずっと抱えていた問題で。東京で生活していた20代半ばまでは、恐らくそれを挽回するためにもがくことができていたんじゃないかと思います。相手を見極め、自分のセクシャリティのカミングアウトにも少しずつ取り組み、自分を周囲に受け入れてもらう体験を通じて自己受容を図っていました。ですが秋田に帰郷した今、なかなかカミングアウトはうまくできていません。都市部よりも日常から多様性を実感しにくいであろう地方の環境。親、親戚、同級生など、否応なしに自分の素性に繋がってしまう狭さ。出身集落や学校などの属性をふまえた付き合いが多いため、カミングアウトなどした日には、自分は本当は受け入れられないのではないかという不安が、職場などの固定的なメンバーのコミュニティではどうしてもつきまとってきてしまいます。いつも後ろめたさがどこかにあって、自分のことを許容も肯定もできずにいました(というか、今も)。これはもう、思考回路にクセがついてしまっているんだと思います。

 

 

苦しい中での、ゆるっとゼミ開催

 そんな中ではありましたが、自分で自分を肯定できる場に行きたい一心で小規模ながら、久々のゆるっとゼミを企画し参加者を募りました。大して活動できていないながらも、自分が主催するという活動においてリーダーシップのとり方にはこれまでさまざまな思案を巡らせてきていて。その中のひとつとして、「自分がいいと思うことなら、もっと提示していっていいのかも」ということです。会の進め方や構造などはむしろ、最初から決めて提示していく必要があるのだなと。

 

 

 自分が決めて実行したことの結果が返ってくる、それをもとにまた選択と実行を重ねていく。そうやって繰り返していくのは単純なことではあるけど、否定的な結果が突き付けられること、例えば他者からの否定や拒絶を受ける恐れから逃げていたのかもなと気づかされました。

 それに、与えられたことにいくら必死になっても、結果の基準はどうやっても他者評価でしかないのですよね。日々にあふれる選択の場面に、どれだけ自分の意思を宿せるかという目線を持ち込めると、私の自信も少し回復させられるんじゃないかなっていう希望を感じられます。

 

 

自然な自分でいたい

 

 さて、この束の間の休養をとってその後、どんな自分でいたいか。それは、「自然な自分でいたい」です。取り繕わず、自然な反応ができること。自然な関係性を築けること。自分が感じる自然な感情を、他者のために加工する前にいったん自分で受けとめられること。そのためには、自分でいいと思うことを選んで、結果を受けとめることが大事だなって思います。そのために、自分を整える休養にしたい……!